菩提寺の東堂が亡くなりました。

東京はいい天気でした。東京で私の家の菩提寺の東堂がお亡くなりになったとの電話が入りました。午後7時から枕経とのことあわてて山形新幹線に乗るために東京駅に行きました。3時8分の新幹線に乗ることが出来、何とか間に合いそうです。 2011年1月21日浦和付近05 浦和周辺は大変いい天気でした。山形の天気が心配でした。澄江寺の東堂は98歳になられました、佐藤文雄大和尚は、本当に素晴らしい曹洞宗のお坊さんでした、自らの生活を通して私達檀家のものに人として生きる道、活きているということを教えてくださっていました。良く澄江寺の墓地の草取りをおこなっていました、どんなに暑くとも毎日必ず草取りを行い、庭木の手入れを行いました。そして草を抜く時に草に対してごめんなさいね、ちゃんと澄江寺に生えて来たのに、私が抜いてしまうのは申し訳けありません。ですがここは澄江寺というお寺で檀家の方がお参りに来るときに、草ぼうぼうでは檀家の方に申し訳ないので、澄江寺に生えて来たのが不運とあきらめて抜かれてくださいと謝りながら抜くんですよと話をしてくださいました。 又澄江寺の仏具が壊れたをいえば、一生懸命修理をしている姿を良く見ました。お酒も召し上がるのでが、ほんの少しのお酒(当社の大吟醸紅花屋重兵衛がお好きでした)を楽しそうに飲まれました。法事の席等でお酒を一緒に飲む機会がありますと、自分の人生から学ばれたこと、経験を温和に教えてくださいました。第二次世界大戦の頃や東堂が子供の頃、すべてにこやかに優しく自分が迷ったことや喜ばしかったこと、つらかかった話とうを教えてくださいました。 活きるということは、すべてを認め皆にお世話になり、感謝をして、皆に自分の出来るお世話をして生活する事が大事ですよと。 そんなことを回想しながら山形新幹線が、米沢に入りましたらすごい雪、奥羽本線の普通列車が不通とのこと、列車の下に雪がたまって、作業員がスコップで雪をかき出していました、たいへんなことです。 2011年1月21日米沢駅の雪01 何とか7時の枕経まで間に合いました。 2011年1月22日澄江寺東堂の日棺14
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